日本相撲協会

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展示室が1室のため常設展示ではなく、年3回の展示替により様々な資料をご覧いただけるよう努めています。

次回の展示

公益財団法人日本相撲協会設立100周年記念展

展示期間 令和7年(2025)12月24日(水)~12月25日(木)
開館時間 10時~16時(最終入館15時30分)
展示場所 国技館大広間

入場無料

※混雑時には入場制限がかかる場合があります。

 2025年、日本相撲協会は財団設立100周年を迎えました。この節目の年を記念し、相撲博物館では国技館大広間にて、所蔵する貴重な資料を一堂に集めた展覧会を行います。
 本展示では、歴代横綱の象徴である化粧廻し三つ揃い 計36組や、横綱の綱 計18本を中心に、相撲文化の魅力を伝える山本芳翠、平櫛田中、前田青邨の作品など、博物館が誇る美術品もあわせてご覧いただけます。さらに、雷電、常陸山、双葉山といった名力士ゆかりの品をはじめ、江戸相撲の世界、行司・呼出し・床山に関する資料、野見宿禰や相撲節会にまつわる資料など、相撲の歴史と文化を多角的にご紹介いたします。

〈主な展示品〉
・常陸山・双葉山はじめ歴代横綱の化粧廻し三つ揃い36組
  相撲博物館蔵の歴代横綱化粧廻し三つ揃いが一堂に会する展覧会は史上初の試みです。
・江戸時代~現代までの横綱が使用した「綱」18本
・東洲斎写楽画「大童山文五郎碁盤で蝋燭の火を消す図」
・歌川広重画「東都両国回向院境内相撲の図」
・谷文晁画「野見宿禰」(個人蔵)
・山本芳翠画「相撲図」
・平櫛田中作「出羽海秀光立像」
・雷電為右衛門使用の道中羽織
・初代式守伊之助使用の軍配
・27代木村庄之助使用の装束
・立呼出し寛吉使用の柝・白扇
展示資料:約250点

歴代横綱化粧廻し三つ揃い(相撲博物館蔵)

※一部展示品とは異なります。

野見宿禰と相撲節会

相撲節会取組の図
1 相撲節会取組の図 住吉広行 画
江戸時代中期
中央の相撲人が相手を倒し、立合(たちあわせ、現在の行司)が判定をしている。土俵はなく、足の裏以外の部分が地面につくと、負けになる。住吉広行(1754~1811)は、日本絵画を代表するやまと絵の絵師。

相撲と芸術家

相撲図
2 相撲図 山本芳翠 画
明治時代
山本芳翠(1850~1906)は、明治時代に活躍した日本洋画界の先駆者。1884年(明治17)の天覧相撲で大熱戦を繰り広げて評判となった、梅ケ谷(初代)と大達の取組を描いた作品である。
仕切りの図
3 仕切りの図 竹内栖鳳 画
制作年不詳
竹内栖鳳(1864~1942)は、京都市出身の日本画家。「西の栖鳳、東の大観(横山大観)」と謳われるほどの大家で、明治から昭和にかけての画壇を代表した。歌舞伎や音楽と並んで、相撲を好んだといわれる。

江戸相撲の世界

勧進大角力取組図
4 勧進大角力取組図 歌川芳員 画
1858年(安政5)
11代横綱・不知火光右衛門(左)、12代横綱・陣幕久五郎(右)の取組。不知火は1863年(文久3)11月に横綱を免許され、現在も「不知火型」土俵入りに名を残す。陣幕は1867年(慶応3)10月に横綱を免許、江東区富岡八幡宮に「横綱力士碑」を建立したことで有名である。
戸田川鷲之助使用の化粧廻し
5 戸田川鷲之助使用の化粧廻し
江戸時代中期
素材は絹で、現存する最古の部類の化粧廻しである。戸田川は宝暦~安永期頃(1751~1781)の力士で、最高位は前頭2枚目。江戸時代中期までは、前に刺繍を施した膝くらいまでの長さの締め込みで相撲を取っていたが、戸田川が活躍した明和~安永期頃(1764~1781)に、現在のように締め込みと化粧廻しが分離した。

天下無双 雷電

雷電為右衛門
6 雷電為右衛門 勝川春亭(初代)画
1798~1804年(寛政10~文化元)頃
土俵上で化粧廻しを身につけた雷電を描く。化粧廻しは、勇壮な龍を描いたものである。
雷電為右衛門使用の道中羽織
7 雷電為右衛門使用の道中羽織
江戸時代後期
衿に「雷」の文字、背中には雷電の生家・関家の家紋である丸に桔梗が入る。雷電は身長1m97cm、体重169kgという巨体であり、この道中羽織も裄(背縫いから袖口の長さ)がおよそ75cmもある、体格に見合ったものである。

角聖 常陸山

ステッキ・シルクハット
8 ステッキ
明治~大正時代
常陸山はステッキを愛用した。このステッキは、常陸山が大麻唯男(1889~1957、後の国務大臣)へ結婚記念として贈ったもの。1944年(昭和19)に大麻から常陸山の遺弟子、年寄藤島(31代横綱常ノ花)に譲られた。
9 シルクハット
1907年(明治40)
ニューヨークの帽子メーカーDunlap社製。大相撲紹介のためにアメリカ、ヨーロッパに赴いた常陸山がルーズベルト大統領謁見に備えてニューヨークであつらえた。ケースにはT.Ichige(本名:市毛谷)とあり、宿泊したパリ・グランドホテルなどのステッカーが貼られている。
三横綱紀念三幅對
10 三横綱紀念三幅對
大正時代
「天眞」常陸山谷右衛門書
「富士山」太刀山峰右衛門画
「爛漫」梅ケ谷藤太郎(二代)書

大横綱 双葉山

木鶏
11 木鶏 安岡正篤 書
1939~1940年(昭和14~15)頃
「木鶏」とは、中国の思想書『荘子』に由来する言葉で、木の鶏のように泰然自若とし、動じない境地を意味する。思想家の安岡正篤(1898~1983)によって双葉山に伝えられ、69連勝で止まった際には「未だ木鶏たりえず」と友人に打電した。その後、揮毫を安岡に依頼し、「力士規七則」と共に時津風部屋の稽古場に長く掲額された。
断髪髷
12 断髪髷
1946年(昭和21)
断髪式は1946年(昭和21)11月19日に、米軍の接収によりメモリアルホールと改称された両国国技館(初代)で行われた。

大相撲を彩る行司・呼出し・床山

初代式守伊之助使用の軍配
13 初代式守伊之助使用の軍配
1767~1793年(明和4~寛政5)
現在まで続く立行司・式守伊之助の初代が使用したもの。
27代木村庄之助使用の装束
14 27代木村庄之助使用の装束
「能装束群蝶文」若松華瑶(初代)作
1767~1793年(明和4~寛政5)
染色図案家・若松華瑶(初代、1895~1974)は、多くの装束を制作し、行司に贈呈した。
双葉山一門使用の太鼓
15 双葉山一門使用の太鼓
1953年(昭和28)
双葉山(時津風)一門が巡業で使用したもの。江戸時代から1957年(昭和32)まで、地方巡業は一門や部屋など小規模な集団で各地をまわっていた。
床山の道具と道具入れ
16 床山の道具と道具入れ
1923~1961年(大正12~昭和36)
床山の床精が使用していた道具入れ。数種類の櫛やはさみ、元結やすき油を入れるほか、まげを結うときに使う水を入れておく水桶がついている。

過去の展示

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