日本相撲協会

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過去の展示 - 平成30年

行司装束

展示期間 平成30年(2018)10月23日(火)~12月26日(水)

行司装束

 大相撲を美しく演出するものの一つに行司装束があります。さまざまな色の糸や織り方で仕立てられた行司装束は、もはや芸術品といえるでしょう。行司は、激しい取組が繰り広げられる土俵上に彩りを加える存在です。
 江戸時代以来、行司は麻裃(あさがみしも)で取組を裁きました。武士の礼装である麻裃は力士と調和の取れたものでしたが、明治43年(1910)5月に直垂(ひたたれ)・烏帽子(えぼし)姿へと変更します。これは髷を落として裃が似合わなくなった行司の頭髪を烏帽子で隠すためとも、直垂の方が装飾性が高くなるためとも言われています。
 今回は、染織図案家・初代若松華瑶(わかまつかよう、1895~1974)がデザインしたものを中心に、色鮮やかな装束をご紹介します。また、行司が身に付ける軍配や印籠(いんろう)、脇差なども合わせて展示します。これを機会に、大相撲に欠かすことのできない行司にもご注目いただければ幸いです。

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双葉山―没後50年を迎えて―

展示期間 平成30年(2018)8月20日(月)~10月19日(金)

双葉山

 昭和43年(1968)12月16日に35代横綱・双葉山定次(ふたばやまさだじ)が亡くなり、今年で50年を迎えます。大分県宇佐郡天津村布津部(ふつべ、現・宇佐市)に生まれた双葉山は、立浪部屋に入門し、昭和2年3月に16歳で初土俵。以来、昭和20年11月までの18年間に多くの記録を打ち立てました。なかでも、69連勝・5場所連続全勝優勝の記録は、現在でも破られていません。
 引退後は年寄・時津風を襲名。多くの関取を育てあげ、一代で大きな勢力を築きました。また、昭和32年5月から約11年にわたり理事長を務め、部屋別総当たり制の導入など数々の改革を行いました。
 今回は没後50年を記念し、化粧廻し、太刀や手紙などの関連資料から足跡をたどります。力士として人気を博し、年寄としても大きな功績を残した横綱・双葉山について回顧する機会となれば幸いです。

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七夕と相撲

展示期間 平成30年(2018)6月19日(火)~8月10日(金)

七夕と相撲

 七月七日は七夕です。七夕といえば、星を眺めたり、願い事を書いた短冊を竹に結んだりします。彦星と織姫のお話は有名です。その七夕と相撲の関わりとはなんでしょうか。
 平安時代の宮中行事だった相撲節(すまいのせち)は、初め七月七日に行われました。七月七日(七夕<しちせき>・笹)は、季節の節目に設けられた節句の一つで、一月七日(人日<じんじつ>・七草)、三月三日(上巳<じょうし>・桃)、五月五日(端午<たんご>・菖蒲)、九月九日(重陽<ちょうよう>・菊)とあわせて五節句といわれました。七月七日には、相撲によって、その年の収穫を占ったり、祈願したり、あるいは感謝したとされます。また、『日本書紀』に記載されている野見宿祢(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)の闘いも、七月七日となっています。こちらはのちに七月七日に決めたと思われますが、相撲は七月七日に行うものという当時の考えが伝わります。
 今回、七夕と縁のある、野見宿祢と當麻蹶速の闘いと相撲節の2つについて紹介いたします。七夕を機に、いにしえの相撲に思いをはせていただければ幸いです。

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雷電為右衛門と寛政の大相撲

展示期間 平成30年(2018)4月24日(火)~6月15日(金)

雷電為右衛門と寛政の大相撲

 江戸時代も後半に差しかかった18世紀末の寛政年間(1789~1801)、大相撲に空前のブームが到来しました。観客は朝早くから相撲場に詰めかけ、力士たちを描いた錦絵も飛ぶように売れたといいます。ちょうどこの頃は、絵画・小説・俳諧・旅など、さまざまな文化が庶民にまで広く親しまれるようになった時代です。当時の人々は、江戸時代を代表する文化のひとつとして大相撲も楽しみました。
 このブームを牽引したのが、寛政元年(1789)にはじめて横綱土俵入りを披露した谷風梶之助と小野川喜三郎、そして彗星の如く江戸の相撲に登場した雷電為右衛門です。大相撲の人気は将軍・徳川家斉の耳にも達し、寛政3年には上覧相撲が催されました。このように寛政年間は単にブームが訪れただけではなく、相撲の歴史を語る上でも大変重要な時代です。
 今回は昨年生誕250年を迎えた雷電を中心に、横綱の誕生や上覧相撲など、寛政年間にスポットをあて、さまざまな資料から当時の大相撲をご紹介します。人気力士の取組に熱狂する観客の姿は現在とかわりません。当時の相撲場の様子を想像しながらお楽しみ下さい。

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「大相撲」の幕開け―土俵・番付・化粧廻しの誕生―

展示期間 平成30年(2018)2月20日(火)~4月20日(金)

「大相撲」の幕開け

 「大角力(相撲)」という言葉は、江戸時代中期の番付に登場しました。やがて、寛政元年(1789)の横綱誕生、同3年6月の上覧相撲を皮切りに、雷電など人気力士とともに空前の相撲ブームが巻き起こります。
 江戸時代前期には土俵が、宝暦7年(1757)には1枚番付が誕生。現在の「大相撲」をイメージするモノが出来上がりました。加えて、同時期から流行した錦絵には、興行場の様子や力士が描かれ、人気の程がうかがえます。
 今回は、この江戸時代前・中期の相撲について取り上げます。当時を語る文献や絵などから、相撲興行が確立された時期の様子を感じていただければ幸いです。
 尚、平成29年は雷電生誕250年にあたり、それを記念して出身地の長野県などは大いに盛り上がりました。当館でも本年4月中旬より雷電や寛政期を特集した展覧会を行います。是非、合わせてお越しください。

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明治時代の大相撲

展示期間 平成30年(2018)1月4日(木)~2月16日(金)

明治時代の大相撲

 明治維新によって新しい時代を迎える中、前代の遺物と見なされた大相撲を取り巻く環境は、たいへん厳しいものでした。そうした状況にあって、大相撲が人気を回復していくきっかけとなったのが、明治17年(1884)の明治天皇による天覧相撲であり、大相撲を支えた名力士たちです。
 今回、梅ケ谷藤太郎(初代)や常陸山谷右衛門など、明治時代を代表する名力士や当時の出来事をご紹介いたします。江戸時代に興行として確立した大相撲は、明治時代になると徐々に競技としての制度が整備され、現在に至る大相撲の姿が形作られていきました。本年は明治元年から150年の節目にあたります。この展覧会が、明治時代の大相撲を振り返る機会となれば幸いです。

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