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過去の展示

双葉山―没後50年を迎えて―

展示期間 平成30年(2018)8月20日(月)~10月19日(金)

 昭和43年(1968)12月18日に35代横綱・双葉山定次(ふたばやまさだじ)が亡くなり、今年で50年を迎えます。大分県宇佐郡天津村布津部(ふつべ、現・宇佐市)に生まれた双葉山は、立浪部屋に入門し、昭和2年3月に16歳で初土俵。以来、昭和20年11月までの18年間に多くの記録を打ち立てました。なかでも、69連勝・5場所連続全勝優勝の記録は、現在でも破られていません。
 引退後は年寄・時津風を襲名。多くの関取を育てあげ、一代で大きな勢力を築きました。また、昭和32年5月から約11年にわたり理事長を務め、部屋別総当たり制の導入など数々の改革を行いました。
 今回は没後50年を記念し、化粧廻し、太刀や手紙などの関連資料から足跡をたどります。力士として人気を博し、年寄としても大きな功績を残した横綱・双葉山について回顧する機会となれば幸いです。

35代横綱 双葉山定次
1 35代横綱 双葉山定次(1912~1968)
昭和13年(1938)頃
 大分県宇佐郡天津村布津部(現・宇佐市)出身。179cm、128kg。69連勝・5場所連続全勝優勝など数々の記録を打ち立て、引退後は年寄・時津風として多くの弟子を育て、理事長も務めた。幕内成績276勝67敗1分33休。優勝12回。平成30年(2018)は没後50年にあたる。
双葉山定次使用の化粧廻し
2 双葉山定次使用の化粧廻し
 横綱の化粧廻しは、太刀持ち・露払いの分を含めて3つで1組となる。
 柏の双葉があしらわれている。双葉山の引退後、弟子である42代横綱・鏡里喜代治が横綱昇進し、明治神宮での奉納土俵入りの際にも締めた。
双葉山定次使用の横綱
3 双葉山定次使用の横綱
 横綱土俵入りには雲龍型と不知火型の2つの型がある。雲龍型の綱は後ろの輪が1つとなり、せり上がりの際は右手を広げ、左手を腹にあてて行う。現役では、鶴竜と稀勢の里が行っている。
 ※垂(しで)はイメージです。
双葉山定次書画「天下泰平」
4 双葉山定次書画「天下泰平」
 双葉山が描いた絵は珍しい。右上の印文には「勝而締兜緒矣(勝って兜の緒を締めよ)」とあり、双葉山の性格がうかがえる。左下の印は「日之下開山 横綱」「穐吉定次 双葉山」。
控えの双葉山定次
5 控えの双葉山定次
長谷川義起/昭和10年代/ブロンズ製
 長谷川義起(1891~1974)は、富山県射水市出身の彫刻家。本名は勝之。特にスポーツの瞬間を彫刻とすることを得意とし、相撲の作品も数多く残している。
横綱土俵入り姿「双葉山」
6 横綱土俵入り姿「双葉山」
作者不明/土製
 双葉山の土俵入りで特徴的な右側への傾きまでよく表現されている。
双葉山定次横綱土俵入
7 双葉山定次横綱土俵入
奥山儀八郎/制作年不明
 奥山儀八郎(1907~1981)は、山形県寒河江市出身の木版画家。昭和3年(1928)に日本創作版画協会展に初入選し、ニッケ(日本毛織)広告部で版画のポスターなどを制作したことで知られる。のちに、明治文化研究・浮世絵研究で著名な石井研堂(1865~1943)に師事し、日本の伝統版画復興に尽力した。
 このほか、双葉山定次使用の締込、明荷や手形、番付、天皇賜盃レプリカなど、合計118点の資料を展示いたします。

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