相撲用語集
横綱
「横綱」とは力士の最高位の地位でもあり、かつ横綱力士が土俵入りの際に腰に締めるものも「横綱」という。
<地位としての横綱>
第73代横綱・照ノ富士
横綱の由来は、諸説ありはっきりとはしていない。地鎮をするときに綱を腰に締めて地面を踏む儀式から生まれたともいわれている。
江戸時代から明治末期までの横綱は、横綱を締めて土俵入りをすることを認められた力士の称号であって、地位ではなかった。はじめて横綱土俵入りを行ったのは、寛政元年(1789)の第4代横綱・谷風と第5代横綱・小野川。横綱を授与されたことは大変な話題となり、江戸時代中期の一大相撲ブームを引き起こした。以後、横綱土俵入りは相撲興行のハイライトとなり、相撲人気の一翼を担っていく。
横綱を授与される谷風と小野川
(横綱授与の図/勝川春英 画)
明治23年(1890)5月場所の第16代横綱・西ノ海(初代)からは「横綱」の文字が番付に載るようになり、「横綱」という大関の上位に位置する地位としての認識が広まっていった。現在のように、「力士の最高位」として明文化されたのは明治42年2月のことである。
横綱の代数は、第12代横綱・陣幕が引退後の明治33年に富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう、東京都江東区)に建立した横綱力士碑を基にして、現在に至っている。
明治23年5月の番付(部分)
<モノとしての横綱>
横にした綱を腰に締めていることから「横綱」の名称が生まれたといわれる。単に「綱」とも呼ぶ。寛政元年(1789)11月、谷風梶之助と小野川喜三郎が免許を受けて以降、横綱が土俵入りを行う際に使用されている。神社にあるしめ縄が起源であるともいわれるが定かではない。
秀ノ山雷五郎横綱土俵入之図/三代歌川豊国 画
横綱は、米ぬかで揉みほぐした麻を晒し木綿で包んだものを3本作り、より合わせて作られる。背面の輪の部分には、芯材として銅線が入っているために立体的な形が保たれている。背面の輪の数は、雲龍型は1つ、不知火型は2つとなる。力士の体格によって異なるが、重さはおおよそ5~6kgほど。
前に垂れている垂は厚めの和紙でできていて、綱から垂らすように挟み込んでいる。
(YouTube 横綱メイキング動画 https://www.youtube.com/watch?v=lXg388UP97Y)
稲妻雷五郎使用の横綱
(江戸時代の横綱には銅線が入っていない)
双葉山定次使用の雲龍型横綱と羽黒山政司使用の不知火型横綱