相撲用語集
力士
<力士の歴史>
相撲の競技者のことを「力士」や「相撲取」と呼ぶ。
「力士」を歴史的に見ていくと、最も古い例では古墳時代の出土品「力士埴輪(ちからひとはにわ)」がある。いずれもたくましい身体に褌(ふんどし)を身につけて、2名が組み合うような形状から相撲と判断できる。
時代は下って、平安時代に行われていた相撲節(すまいのせち)では競技者のことを「相撲人(すまいびと)」と呼んでいた。相撲人は「たふさぎ」という褌を腰に締めて、相撲を取る。一番の実力者は「最手(ほて)」、それに次ぐ者を「腋(わき、脇・最手腋とも)」と呼び、現在でいう大関・関脇のような地位があった。
相撲節の相撲人
(平安朝相撲人の図/狩野養信 画)
「相撲取(すもうとり)」と呼ばれるようになるのは戦国時代以降のこと。室町大名の邸内での相撲や織田信長による相撲大会などが行われ、武士による身体の鍛錬のために相撲が取り入れられていった。
江戸時代の力士
(取組の図 小柳・荒馬/三代歌川豊国 画)
そして、「力士(りきし)」の呼称は、勧進相撲が盛んになる江戸時代中期頃に定着した。この頃には、土俵入りの際に締める「化粧廻し(けしょうまわし)」や取組用の「廻し」、土俵や興行場が確立し、現在の相撲興行の基礎ができあがっていった。
現在の取組(霧島―大栄翔/令和6年一月場所十一日目)
<力士の階級>
力士の階級は、横綱から序ノ口まで10段階ある。特に十枚目以上の力士を「関取」と呼び、月給が支給され、髷を大銀杏に結うなど、一人前の力士としての待遇を受けることとなる。また、前頭以上を「幕内力士」という。
番付(地位)は先場所の成績を踏まえて、毎場所新しく編成され、関脇までは本場所15日間の取組で勝ち越せば上がり、負け越せば下がることとなる。
横綱・大関には昇進が検討されるための目安があり、大関は直近3場所を三役で33勝以上、横綱は直近2場所を優勝またはそれに準ずる成績を上げること、とされている。この目安をクリアし、番付編成会議および理事会の審議を通過して(横綱は横綱審議委員会からの答申を受ける)、初めて昇進が承認される。