相撲用語集
番付
<番付とは>
その場所に出場する力士や在籍する年寄・行司らを1枚の紙に、階級別に一覧にしたものが番付(ばんづけ)。
いつ頃から番付が作られていたかは定かではないが、遅くとも元禄年間(1688~1704)には板番付(木の板に墨書した番付)を興行場入口に掲げていたことが分かっている。紙に刷られた形で現存する最古の番付は、正徳年間(1711~1716)と推定される。
明治時代の興行場前に建つ板番付
(両国大角觝之図/井上探景 画)
誕生初期の番付は東西を別々に刷り、2枚で1組となっていた。宝暦7年(1757)10月になって江戸で現在のような一枚形式の番付が登場し、江戸相撲ではこの形式が定着した。京都相撲と大坂相撲ではその後も明治期まで、東西が別々の二枚形式の番付が使用され続けていた。その後、江戸相撲興行の隆盛に伴って一枚形式の番付が定着し、現在にいたっている。
享保13年(1728)9月の二枚番付
番付は毎場所、行司の手によって書かれる。番付の原本は現在においても毎場所、行司の手書きによって作成される。
番付の原本は「元書き」という。縦110センチ、横80センチのケント紙に書かれ、それを約4分の1に縮小印刷して一般販売されている。
番付にある自分のしこ名を指さす琴ノ若
櫓に掲げられた板番付
<番付を書く>
番付や顔ぶれ(幕内の各取組を書いた紙)のほか、巡業会場の案内や宿割りなどのさまざまな場面の筆書きも行司が担当している。
番付の文字は独特の「相撲字」。太く隙間なく書くことで、「お客様が会場に隙間なく入るように」という意味が込められている。
江戸時代から昭和6年(1931)までは、番付などを発行していた版元・根岸治右衛門(ねぎしじえもん)家が作成していた。その後、年寄・千田川(元大阪相撲の行司・木村喜三郎)などを経て、昭和19年(1944)から行司が番付書きを担当するようになった。
番付を書く木村恵之助
(現、三役格行司・木村容堂)
板番付を書く式守輝乃典