日本相撲協会

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過去の展示

江戸時代後期の大相撲
 ~阿武松から陣幕まで~

展示期間 平成31年(2019)1月4日(金)~2月15日(金)

 相撲博物館では昨年、「大相撲の幕開け」「雷電為右衛門と寛政の大相撲」と題した展覧会で、江戸時代中期の大相撲をご紹介してまいりました。今回は、これらに続く幕末までの様相を探ります。
 江戸時代後期、江戸を中心に町人文化が花開くなか、大相撲には多くの観客が詰めかけ、絵師たちも競って力士を描きました。横綱の阿武松緑之助や稲妻雷五郎、陣幕久五郎をはじめとする力士たちは、歌舞伎役者と並んで江戸のスターだったと言えるでしょう。錦絵からは力士の風貌だけでなく、相撲場や観客の姿もうかがえます。江戸の庶民が熱狂した大相撲の世界を是非、ご堪能下さい。

当時英雄取組ノ図
1 当時英雄取組ノ図
歌川国貞(初代)画
文政11年~天保5年(1828~1834)
 右は6代横綱・阿武松緑之助(1791~1851)、左は7代横綱・稲妻雷五郎(1802~1877)。行司は9代木村庄之助(?~1838)。文政~天保年間(1818~1844)の大相撲を支えた両者は、まさに当時の「英雄」であった。
稲妻雷五郎使用の化粧廻し
2 稲妻雷五郎使用の化粧廻し
文政~天保年間(1818~1844)
 紫に染めた麻地の化粧廻し。文政11年(1828)、稲妻は相撲の家を称した京都の五条家から紫の化粧廻しと注連縄を与えられている。この化粧廻しも五条家からのものと考えられる。
秀ノ山雷五郎 横綱土俵入之図
3 秀ノ山雷五郎 横綱土俵入之図
歌川豊国(3代)画
弘化2年~嘉永3年(1845~1850)
 秀の山雷五郎(1808~1862)は、宮城県気仙沼市出身の9代横綱。松江藩松平家、のち盛岡藩南部家の抱え相撲。164㎝と歴代横綱で最も身長が低い。堅実な取り口で、天保~嘉永年間(1830~1854)にかけて活躍。はじめ北山を名乗り、天津風、立神、岩見潟、秀の山と改名。引退後は相撲年寄・秀の山として弟子の育成、相撲会所の運営に尽力した。
秀の山雷五郎使用の横綱
4 秀の山雷五郎使用の横綱
金龍山浅草寺奉額縮図
5 金龍山浅草寺奉額縮図
歌川国輝(2代)画
明治2年(1869)
 陣幕久五郎(1829~1903)は松江市出身の12代横綱。慶応3年(1867)に横綱免許を受けた幕末の強豪。引退後の明治33年(1900)、富岡八幡宮(江東区)に横綱力士碑を建立、現在まで続く横綱の代数を定めた人物でもある。陣幕の横綱免許を記念し、浅草寺(台東区)に横綱土俵入りを描いた縦165㎝、横320㎝の絵馬が奉納された。巨大な絵馬は現存し、この作品はその縮図。左端に名を連ねるのは陣幕の贔屓筋で、絵馬を奉納した人々である。絵馬と錦絵で横綱・陣幕の名が広く知らされた。
力士力競
5 力士力競
作者不詳
安政元年(1854)
 安政元年(嘉永7年、1854)、日米和親条約締結に際し、アメリカから幕府に蒸気機関車の四分の一の模型や電信機などが贈られた。幕府から贈られた品は、硯箱や紋ちりめん、刀のほか、米200俵、にわとり300羽などであった。これらの内、米俵をアメリカ船まで運ぶ際、力士たちが大活躍した。この作品にはその様子が描かれており、軽々と米俵を運ぶ姿に、アメリカ使節・ペリー(1794~1858)一行は大変に驚いたことであろう。
 このほか、錦絵を中心に将軍の上覧相撲関連の資料など約85点を展示いたします。

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