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俳句・川柳にみる江戸の相撲
展示期間 | 平成29年(2017)10月24日(火)~12月26日(火) |
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俳句の世界では、相撲は秋の季語としてよく知られています。これは奈良・平安時代に朝廷で催された相撲節(すまいのせち)が、毎年7月に開催されていたためです。松尾芭蕉からアマチュアの愛好者まで、俳句の題材として相撲はさまざまな人々に詠まれてきました。7代横綱・稲妻雷五郎は、相撲が強かっただけでなく、俳句をたしなんだことでもよく知られています。
季語や「かな」「や」などの切れ字を必要としない川柳は明和年間(1764~72)から流行し、自由で笑いも誘う作品が数多く誕生しました。江戸時代後期の『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』には相撲にまつわる川柳も少なくありません。
今回は、俳句・川柳や、力士を詠んだ狂歌を紹介しながら江戸の相撲の世界へ皆さまをご案内します。錦絵とともにお楽しみいただければ幸いです。
1 春なれや 名もなき山の 朝霞 いな妻 |
7代横綱・稲妻雷五郎(1802~77)の作品。茨城県稲敷市出身、文政12年(1829)に横綱免許。相撲の心得を説いた他、「唐迄も 匂ふや梅の 朝ほらけ」「青柳の 風にたをれぬ ちからかな」など多くの俳句を詠んだ風流人として知られている。 |
2 名所江戸百景 両ごく回向院元柳橋 歌川広重(初代)画 安政4年(1857) |
大相撲は太鼓の音にはじまり、太鼓の音で終了する。興行のたびに建てられる櫓は大相撲がはじまることを知らせてくれる。小林一茶(1763~1827)は文化10年(1812)に「うす闇き 角力太鼓や 角田川〔隅田川〕」と詠んでいる。 |
3 江戸相撲番付(部分) 安永7年(1778)春 |
元禄元年(1688)以来、晴天8日間を常とした江戸相撲は、この番付右端にあるように、安永7年に10日間となる。その背景には相撲人気の高まりがあった。「一年を 廿日てくらす いゝ男」は『誹風柳多留』44篇、文化5年(1808)に収録された作品。晴天10日間興行が春・冬の年2度だったため20日で暮らすと表現された。力士たちの人気ぶりもうかがえる。 |
4 大相撲関取御江戸両国橋通行ノ図(部分) 歌川豊国(3代)画 弘化4年(1847) |
『誹風柳多留』初篇 明和2年(1765)の「関とりの 乳のあたりに 人たかり」など、力士の体の大きさを表した川柳も数多い。 |
5 越ノ戸浜之助使用の化粧まわし |
江戸時代後期の上位力士は、相撲を嗜好する大名家に抱えられた。抱えられた力士は、藩ゆかりの文様などを意匠とする揃いの化粧まわしで土俵入りを披露した。小結・越ノ戸(1792~1841)は松江藩や盛岡藩に抱えられており、この化粧まわしは瓢箪を意匠とした松江藩のもの。『誹風柳多留』90篇、文政9年(1826)には「殿さまの ふんどしでとる いゝ角力」とあり、藩揃いの化粧まわしが広く親しまれていたことがうかがえる。 |