相撲の神様を祀る 野見宿禰神社
野見宿禰とは
『日本書紀』に登場する相撲の神様。出雲国(島根県)出身と伝えられています。垂仁天皇7年7月7日、天皇の前で大和国(奈良県)に住んでいたという剛勇・當麻蹶速と相撲を取って勝ちました。この対戦は相撲の起源説話として広く知られ、勝った宿禰はのちに相撲の神様として祀られるようになりました。宿禰は蹶速の領地を賜り、長く垂仁天皇に仕え、埴輪を考案したという逸話もあります。埴輪づくりや古墳の造営に携わった古代の豪族・土師氏は宿禰の後裔といわれています。
大日本史略図会二 野見宿禰清涼殿の南庭に於て當麻の蹶速を蹴殺す
安達吟光画 明治18年(1885)
野見宿禰神社
東京都墨田区亀沢にあり、野見宿禰を祀っています。明治17年(1884)、高砂浦五郎をはじめとする相撲関係者の尽力により津軽藩の上屋敷跡地に創建されました。その後、大正12年(1923)の関東大震災や昭和20年(1945)の東京大空襲により全焼しますが、28年に再建されます。再建の際には、日本相撲協会により歴代横綱記念碑も建てられました。東京での大相撲本場所開催前には、日本相撲協会の理事長・審判部長らが出席して例祭が行われ、新横綱の奉納土俵入りは話題を呼んでいます。
大阪府高槻市の野見神社や鳥取市の大野見宿禰命神社をはじめとする各地の神社でも宿禰は祀られています。また奈良県桜井市・兵庫県たつの市・島根県松江市などには宿禰の墓と伝わる地があります。
野見宿禰と菅原道真
野見宿禰の子孫である豪族・土師氏のなかから菅原氏が現れ、平安時代には学問の家系として活躍しました。天満宮に祀られている学問の神様・菅原道真は、野見宿禰の子孫にあたるのです。梅を愛した道真にちなみ、全国の天満宮は梅鉢を社紋とするようになりました。このような由来で、野見宿禰神社の社紋も梅鉢です。
天満宮御伝絵巻 歌川貞秀画 弘化年間(1844~1848)
上に野見宿禰と當麻蹶速の相撲、下には幼少期の菅原道真が父・是善とともに描かれています。野見宿禰と菅原氏の深いかかわりがうかがえます。
梅鉢紋
勝利の神様
野見宿禰と當麻蹶速の対戦について『日本書紀』には、互いに足で踏み合い、宿禰が蹶速の脇骨を踏み折って殺した、とあります。現在の取組からは想像もできませんが、戦前には史実として信じられていたようです。勝った宿禰は相撲の始祖・神様、そして勝利の神様としても崇高を集めるようになりました。
芳年武者无類 野見宿禰 當麻蹶速
月岡芳年画 明治16年~19年(1883~1886)
『北斎漫画』葛飾北斎画
葛飾北斎が人物・動物・風景など幅広い題材を描いた『北斎漫画』九編にも野見宿禰と當麻蹶速の相撲がみられます。北斎は土俵や四本柱、行司も描きました。これらはもちろん宿禰と蹶速の相撲には登場しませんが、北斎は当時大人気だった大相撲のように描いています。
宿禰神社授与所のご案内
相撲博物館展示室で、野見宿禰神社の御守・御札を授与いたしております。授与時間は相撲博物館開館スケジュールに準じます。
左から合格御守(1,000円)、御守(1,000円)、御札(2,000円)、勝守(1,000円)
※授与品は変更する場合があります。
力士おみくじ
※東京本場所に合わせてお取り扱いします。