過去の展示
行司装束
展示期間 | 平成30年(2018)10月23日(火)~12月26日(水) |
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大相撲を美しく演出するものの一つに行司装束があります。さまざまな色の糸や織り方で仕立てられた行司装束は、もはや芸術品といえるでしょう。行司は、激しい取組が繰り広げられる土俵上に彩りを加える存在です。
江戸時代以来、行司は麻裃(あさがみしも)で取組を裁きました。武士の礼装である麻裃は力士と調和の取れたものでしたが、明治43年(1910)5月に直垂(ひたたれ)・烏帽子(えぼし)姿へと変更します。これは髷を落として裃が似合わなくなった行司の頭髪を烏帽子で隠すためとも、直垂の方が装飾性が高くなるためとも言われています。
今回は、染織図案家・初代若松華瑶(わかまつかよう、1895~1974)がデザインしたものを中心に、色鮮やかな装束をご紹介します。また、行司が身に付ける軍配や印籠(いんろう)、脇差なども合わせて展示します。これを機会に、大相撲に欠かすことのできない行司にもご注目いただければ幸いです。
1 34代木村庄之助使用の装束 |
梅鉢紋。 34代木村庄之助(1943~)は、東京都江戸川区出身。昭和31年1月初土俵、平成19年5月に庄之助を襲名した。土俵上の所作や軍配裁きを始め、事務能力にも長けていた。 |
2 29代木村庄之助使用の装束 |
初代若松華瑤の作。糸錦織・流水葵文。 29代木村庄之助(1936~)は高知県香南市出身。昭和20年11月場所初土俵、平成7年1月に庄之助を襲名した。事務能力が高く、長く若手指導も担当した。 |
3 30代木村庄之助使用の装束 |
初代若松華瑤の作。緞寿織・牡丹立涌文。 30代木村庄之助(1939~)は、佐賀県神埼市出身。昭和30年5月初土俵、平成13年11月に庄之助を襲名した。能書家であり、長く番付書きを担当した。 |
4 10代式守与太夫使用の装束 |
初代若松華瑤の作。精好織・四つ手雲文。 10代式守与太夫(1925~1983)は、長野県出身。昭和44年(1969)3月に与太夫を襲名。昭和58年5月、現役で没した。書が上手く、番付書きも担当した。 |
5 式守伊之助使用の譲り団扇 |
幕末に伊予国松山藩の久松家から式守勘太夫(後の5代式守伊之助、?~1850)に贈られた後、三役格行司木村銀治郎(後の年寄峰崎、1861?~1922)、21代木村庄之助、三役格行司木村今朝三(後の年寄錦島、1903~1971)と受け継がれた。昭和35年(1960)に式守伊之助の譲り団扇となり、現在に至る。 |
6 19代木村庄之助使用の印籠 |
三役格以上の行司は、印籠を右腰に提げる。 19代木村庄之助(1869~1932)は、東京都墨田区出身。明治18年1月の番付に初めて登場し、大正15年1月に庄之助を襲名した。行司手腕・人望ともに備わり、名行司といわれる。 |
7 行司顔触れの図 行司木村庄太郎と呼出シ小栄次 歌川国貞(二代)画 慶応2年(1866)/中判錦絵 |
10代木村庄太郎と呼出し・小栄次による顔触れ言上。 10代木村庄太郎(1826~1884)は、のちの14代木村庄之助。明治10年1月に庄之助を襲名したが、同17年に現役のうちに亡くなった。 |
このほか、8代式守伊之助使用の裃、木村庄之助使用の譲り団扇、式守勘太夫使用の軍配、錦絵「勧進大相撲千穐楽弓渡之図 木村庄九郎」など、約70点の資料を展示いたします。 |