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過去の展示

五十五代横綱北の湖敏満を偲んで

展示期間 平成27年(2015)12月24日(木)~平成28年(2016)2月19日(金)

 立ち合いのかち上げから、左四つ右上手を取っての攻めで相手を圧倒し、憎たらしいほど強いといわれた北の湖。ライバルだった54代横綱輪島とは、優勝をかけて数々の熱戦を展開して「輪湖時代」を築き、56代横綱若乃花(二代)、57代横綱三重ノ海、大関貴ノ花、魁傑、旭国らを相手に好勝負を繰り広げて、昭和50年代の相撲界を牽引しました。現在も最年少記録である21歳2カ月の若さで横綱に昇進。10年半、63場所横綱に在位して、幕内優勝24回、横綱での勝利数670などさまざまな記録を樹立しています。引退後は一代年寄北の湖となり、北の湖部屋を創設して8人の関取を育成するとともに、平成14年から平成20年までと平成24年からのおよそ10年にわたって、「土俵の充実」を掲げて日本相撲協会の理事長を務め、公益財団法人化などに尽力しました。
 この度、平成27年11月20日に逝去いたしました北の湖敏満を偲ぶ展覧会を開催いたします。昭和を代表する横綱の一人として、その功績を振り返っていただければ幸いです。

55代横綱北の湖敏満
本名 小畑 敏満(1953~2015)
出身地 北海道有珠郡壮瞥町
所属部屋 三保ケ関
初土俵 昭和42年(1967)1月場所
入幕 昭和47年(1972)1月場所
最終場所 昭和60年(1985)1月場所
幕内成績 804勝247敗107休
幕内優勝 24回
 低い重心、立ち合いの突っ張り、かち上げにも威力があった。右上手をひきつけての寄り、つり、上手投げ、巻きかえのスピードは抜群で、攻める相撲で相手を圧倒した。大関を除く当時の最年少昇進記録を次々と更新し、21歳2カ月での横綱昇進は今も1位の記録である。引退後は一代年寄北の湖となり、北の湖部屋を創設。また、日本相撲協会理事長を務めて、協会運営に尽力した。
北の湖敏満横綱土俵入り
1 北の湖敏満横綱土俵入り
 北の湖の横綱土俵入りは速めのテンポで小気味よく、しこも力強かった。
北の湖敏満使用の横綱
2 北の湖敏満使用の横綱
北の湖-輪島 昭和51年(1976)11月場所千秋楽
3 北の湖-輪島
昭和51年(1976)11月場所千秋楽
 北の湖のライバルだった54代横綱輪島との対戦の多くは、優勝にかかわる大熱戦となった。若さと力の北の湖、経験とうまさの輪島が、昭和50年代初期に優勝を分け合って「輪湖時代」と称された。対戦成績は北の湖の21勝23敗(優勝決定戦は1勝1敗)と拮抗している。
百福是集
4 百福是集(ひゃくふくぜしゅう)
北の湖敏満書
 たくさんの幸せがここに集まるようにとの意味。書を求められると、この言葉をよく書いた。
公益財団法人認可
5 公益財団法人認可
平成26年(2014)1月30日
 引退した北の湖は、一代年寄北の湖となり、記者クラブや審判部、巡業部などを経て、平成14年2月に相撲協会理事長に就任した。巡業や公傷制度を見直し、韓国、中国、ラスベガスでの海外公演も実現させた。また、相撲協会の公益法人に向けて尽力し、平成26年1月28日に内閣府から公益財団法人の認可を受け、30日に登記が完了した。
 中央に「公益財団法人 日本相撲協会」の額を持った北の湖、左に神山敏夫監事、右に宗像紀夫理事。
 このほかに、北の湖が使用した化粧廻し、明荷、太刀、取組写真、育てた関取の手形など約110点の資料を展示いたします。

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