日本相撲協会

閉じる

MENUCLOSE

過去の展示

部屋別総当たり制導入50年
「昭和40年1月場所」

展示期間 平成27年(2015)8月25日(火)~ 10月16日(金)

 昭和40年(1965)1月場所から、部屋別総当たり制が導入されました。それまでは、親子、兄弟関係にある部屋同士の対戦は組まれない方式(一門系統別)でした。昭和39年ごろは大相撲の人気が低迷しており、これを打開する方策の一つとして、時津風理事長(元横綱双葉山)の主導により、部屋別総当たり制への移行が決まりました。これによって、栃ノ海(春日野部屋)と佐田の山(出羽海部屋)、大鵬(二所ノ関部屋)と玉乃島(のち玉の海、片男波部屋)など、新しい取組が増えるとともに、対戦相手の不均衡がかなり解消されるとあって、場所前から大きな注目を集めました。力士にとっては、相撲を取りにくいという気持ちもあったようですが、ファンからの好評を得て成功に終わり、現在に至っています。
 今年で部屋別総当たり制導入から50年を迎えたのを機に、昭和40年1月場所の横綱・大関をはじめ幕内力士の化粧廻しや取組写真、当時の相撲専門誌などから、取組制度の大改革が行われた場所を振り返ります。

北の冨士と栃ノ海の稽古
1 北の冨士と栃ノ海の稽古
 昭和40年1月3日、出羽海部屋にて。関脇に返り咲いた北の冨士(出羽海)と横綱・栃ノ海(春日野)による稽古。春日野部屋は出羽海部屋からの分家。東京の部屋はすぐ近くで一緒に稽古をし、地方場所は同じ宿舎で生活していた。まさに「同じ釜の飯を食う」仲だった。そのため、本場所での対戦には複雑な思いがあった。
玉乃島(内掛け)大鵬 初日
2 玉乃島(内掛け)大鵬 初日
 激しい攻防から玉乃島が肩すかし。大鵬は体が泳いだがよくこらえ右四つとなる。大鵬は左を巻きかえ、得意の左四つになるが、玉乃島が内掛け。土俵中央で決着がついた。部屋別総当たり最初の場所は、初日に大鵬が敗れる波乱のスタートとなった。
佐田の山(うっちゃり)栃ノ海 4日目
3 佐田の山(うっちゃり)栃ノ海 4日目
 横綱栃ノ海(春日野部屋)と大関佐田の山(出羽海部屋)の取組が4日目に組まれた。部屋別総当たり制による注目の一番。栃ノ海はするどい立ち合い、もろ差しから一気に佐田の山を追い込んだ。ここで栃ノ海は外掛けをみせた。土俵につまった佐田の山は体を入れ替えてうっちゃった。佐田の山は4連勝。部屋別総当たり制の厳しさを象徴する一番といわれた。
手形
4 手形
大鵬幸喜・佐田の山晋松・柏戸剛・栃ノ海晃嘉
 昭和39年9月場所、11月場所と連続して13勝をあげていた佐田の山は、この場所13勝2敗で3回目の優勝を果たした。場所後横綱に昇進し、四横綱が実現した。
佐田の山晋松使用の化粧廻し
5 佐田の山晋松使用の化粧廻し
 この化粧廻しは、佐田の山の横綱昇進に際し、日本画家で文化勲章受章者、出羽海部屋と縁の深かった前田青邨(まえだせいそん 1885~1977)による雷神と風神が原画となっている。刺繍職人の関谷登美治によって精巧な刺繍が施されている。
 このほかに、昭和40年1月場所の番付の元書き、時津風定次書「寿」、昭和40年1月場所の取組写真など約70点を展示いたします。

戻る

概要
国技館・座席ビュー
相撲博物館
売店案内